建築の巨匠と呼ばれる【ル・コルビュジエ】って?その偉業とは?

皆さんは現代建築家の3大巨匠と呼ばれる「ル・コルビュジエ」という人物をご存知でしょうか。日本でも度々美術館などで展示されていてその認知度は広まっています。今回はそんな「ル・コルビュジエ」の人物や、残した偉大な作品についてご紹介します。

現代建築家の3大巨匠「ル・コルビュジエ」とは


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ル・コルビュジエは1887年にスイスで生まれた建築家、都市設計家です。本名はCharles-Édouard Jeanneret。18歳で最初の建物を設計しパリ、ベルリンで学んだのち,1917年以降パリを中心に活躍しました。1920年には前衛芸術誌『レスプリ・ヌーボー』L’Esprit Nouveauを創刊し、絵画や彫刻などの美術評論も試みました。第2次世界大戦中は南フランスに移住しましたが、1944年パリに戻り、1946年にはアメリカ合衆国で国連本部ビルの設計に協力するなど1950年代以降は国際的に活躍しました。ル・コルビュジエの理論と著作は建築作品と並んで大きな影響力をもち,日本からも有名な建築家である前川国男、坂倉準三、吉阪隆正が彼のもとに学んだと言われています。

ル・コルビュジエは現代の建築の基礎を築いたとされる人物です。
現在では当たり前となった「ドミノ・システム」を考案したのも、ル・コルビュジエです。ドミノ・システムとは、鉄筋コンクリートの構造システムで、鉄筋コンクリートの床と床を支えるための最小限の柱、各階へ移動するための階段を要素とした建築方法です。それまで建物の床を支えていた壁を無くしたことにより、自由な平面をつくり上げることに成功しました。

ル・コルビュジエが手掛けた主要建築作品

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸

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フランス・パリにあるラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸は1925に建設された邸宅でル・コルビュジエ作品の中でも初期のもので、彼が構想した5原則・ピロティ、屋上庭園、水平連続窓、自由な平面構成、自由なファサードが全て揃う住宅です。ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸の外見は1つの建物に見えますが、実際には、ラ・ロッシュ邸とジャンヌレ邸の2つの邸宅が入っています。

まず、ラ・ロッシュ邸は、銀行家であり美術コレクターのラウル・ラ・ロッシュのために設計した邸宅、そしてジャンヌレ邸は、兄であるヴァイオリニストのアルベール・ジャンヌレのために設計した邸宅です。
二つの邸宅は、中で完全に分かれており、ラ・ロシュ邸は、美術コレクターであるラ・ロシュが絵画などの美術品を飾ることを想定して設計された造りとなっています。

現在、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸は、ル・コルビジエ財団の本部となっています。ジャンヌレ邸は、事務所となっているため見学はできませんが、ラ・ロッシュ邸側は見学することができます。室内には、ラ・ロシュが収集した美術品やコルビュジエの絵画などが展示されており、建物だけでなく美術作品も楽しめる場所となっています。

ユニテ・ダビタシオン

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フランス・マルセイユにあるユニテ・ダビタシオンは、2016年トルコ・イスタンブールで開催された第40回世界遺産委員会において登録された「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の17件ある構成資産の一つです。ユニテ・ダビタシオンとはル・コルビュジエが設計した集合住宅で、フランス語で「住居の統一体」と「住居の単位」という二つの意味を持っています。ユニテ・ダビタシオンは、マルセイユ以外にもありますが、ユニテ・ダビタシオンといった場合、最初に建設されたフランス・マルセイユのユニテ・ダビタシオンを指します。

マルセイユのユニテ・ダビタシオンは、18階建てで全337戸、最大約1600人が暮らせる大規模な集合住宅です。しかも、単身者向けから4人向けまで様々なタイプの部屋が立体的に組み合わされた形となっていて、住居はメゾネット。エレベーターが3階ごとに止まる仕組みとなっています。集合住宅内には、店舗や郵便局、保育園や体育館なども設けられていました。1961年には、3、4階部分の空室だった住居をホテルにし開業しています。ホテルは、現在も営業しており、一般客も宿泊することが可能です。

ラ・トゥーレット修道院

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フランス・リヨン近郊にあるラ・トゥーレット修道院は、ドミニコ会の依頼により、1956年着工、1960年に完成しました。半世紀以上経ってもその新鮮な外観は色あせることがありません。同じくル・コルビュジエ建築作品として世界遺産に登録されたロンシャンの礼拝堂と共に、彼の後期の作品の中でも傑作と称されています。

ラ・トゥーレット修道院は、丘の斜面に沿うように立っており、斜面に柱を立て、建物は、直線的で荒々しく、打ちっ放しのコンクリートがより一層重厚感を引き立てています。修道院の設計には、コルビュジエの弟子であり、大学で建築と数学を学び、のちに作曲家として名を馳せるヤニス・クセナキスが参加していて、修道院の特徴的な窓や格子は、彼の数学的な考えと音楽的センスから生まれたものといわれています。

ラ・トゥーレット修道院は、見学だけでなく宿泊もできます。世界遺産に泊まる機会は滅多にありませんので、ラ・トゥーレットの修道院を訪れたなら、ぜひ見学だけでなく宿泊も体験されてください。

ロンシャン礼拝堂(フランス)

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ル・コルビュジエによって設計され1955年に竣工した、フランス東部フランシュ・コンテ地方のロンシャンにある礼拝堂です。正式名称はノートルダム・デュ・オー礼拝堂ですが、一般的に「ロンシャンの礼拝堂」または「ロンシャンの教会」(厳密には、教会ではなく礼拝堂であり、ロンシャンの教会という呼び名は誤っている)と呼ばれています。ロンシャンの礼拝堂は、鉄筋コンクリート造にスタッコで仕上げられた白くて分厚い曲面の壁と、シェル構造の薄い曲面屋根が象徴的な彫塑的な建築であり、それまでのキャリアを通じて追求してきたドミノ・システムや近代建築の五原則に基づいた、機能的かつ合理的なモダニズム建築とはかけ離れたものでありました。ただし、これは論理的一貫性を欠いているという批判を引き起こすものではなく、むしろ独創性な造形を作り上げたル・コルビュジエの評価をさらに高めることにもなりました。先ほどご紹介したラ・トゥーレット修道院とともに、後期ル・コルビュジエの代表作とされています。フランスに行ったら一度は見てみておきたい建築作品です。

サヴォア邸と庭師小屋(フランス)


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外観から内部まで、ル・コルビュジエ建築をトータルで見学出来る貴重な建物。建築ファンならずとも一度は訪れてほしい隠れた名所であり、彼の提唱する近代建築5原則を実現した貴重な作品です。建物は、屋上も合わせて3フロアを見学することができます。郊外線RER・A線の終点ポワシー(Poissy)駅から徒歩20分ほどで、緑に囲まれたサヴォア邸に到着します。広い芝生の土地の上に建てられた真っ白な四角形の建物は、住宅という概念を覆されるほどインパクトのある風景です。2階のリビングから外へ出ると、屋上へと進むスロープが。この広々とした屋外の空間は、「内側と外側との境界線を消す」というル・コルビュジエのコンセプトを体現しています。

サン・ディエ工場(フランス)

サン・ディエ工場は、フランス北部の都市サン=ディエ=デ=ヴォージュにあります。1946年から1951年に再建された工場でメリヤスなどの織物工場で、工場の持ち主であるジャン・ジャック・デュヴァルの名をとって、ユジーヌ・デュヴァルとも呼ばれています。

ル・コルビュジエは、第二次世界大戦後、荒廃した都市の復興計画に参加することを希望しており、複数の再建案を作成していました。しかし、残念ながらそれらが実現されることはありませんでした。その実現されなかった再建案を支持していたのが、サン・ディエ工場の持ち主ジャン・ジャック・デュヴァルでした。彼は、第二次世界大戦で破壊された工場の再建を、ル・コルビュジエに依頼しました。再建された工場は、作業効率を考えられた配置となっていて、1階から3階まで流れの中で作業が出来るように実用性を考え抜かれたものとなっています。

サン・ディエ工場もまた、2016年トルコ・イスタンブールで開催された第40回世界遺産委員会において登録された「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の17件ある構成資産の一つです。

レマン湖畔の小さな家


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レマン湖畔の小さな家は、スイス・レマン湖畔にあります。その名の通り「小さな家」で、ル・コルビュジエが自身の両親のために、ル・コルビュジエの故郷であるラ・ショー=ド=フォンより暖かなレマン湖畔に建てた家です。

1923~24年に掛けて建設された小さな家は、窓は横長となっており、それにより大胆な採光と窓から見えるレマン湖やアルプス山脈が借景として取り入れられ、また可動式の壁や家具によって簡単にレイアウトが変えられるなど狭いながらも快適に暮らせるように様々な工夫がされています。

両親のために建てた「小さな家」でしたが、父親はわずか1年の居住となりました。しかし、母親は100歳までこの家で暮らし、その後は兄のアルベール・ジャンヌレが晩年まで暮らしました。現在レマン湖畔の小さな家は、博物館として一般に公開(冬は閉館)されています。スイスに訪れた際にはぜひ立ち寄って、ル・コルビュジエの残した美しい建築作品を見学したいですね。

イムーブル・クラルテ(スイス)

スイスのジュネーブにあるイムーブル・クラルテは、ル・コルビュジエが初めて手掛けた集合住宅で、1930年から32年にかけて建設されました。金属製造業者であった依頼主エドモン・ヴァネールの協力もあり、イムーブル・クラルテは、スチームフレーム構造となっています。クラルテとは、光または透明を意味しています。イムーブル・クラルテは、ガラスを多用し、計48部屋(8階建てで、各階8部屋ある)すべてに光が行き渡るように工夫され、明るく機能的な空間を作り出しているため、この名前が付けられました。

イムーブル・クラルテの建設がきっかけで、ユニテ・ダビタシオンやその他の集合住宅の設計に着手し、ル・コルビュジエが構想する「輝く都市」へとつながることになります。ル・コルビュジエ建築を学ぶ上では欠かせない重要な建築作品となっています。

ル・コルビュジエが手掛けたソファ

不動の人気は「LC1」

ル・コルビュジエが手掛けた家具「ル・コルビュジエ」コレクション。1970年代からそう呼ばれるようになりましたが、1927年頃からその構想は練られていたと言います。彼はスケッチを用い人間の体勢はシートデザインに反映されるべきだという考えを打ち立てました。ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンの協働を得て、このコレクションは存在したのです。シャルロット・ペリアンは家具デザイナーであり、ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレのパートナーでした。彼女はプロジェクトを引き継ぎ、1928年に現在のプロダクトを生み出しました。

「LC1」は、ル・コルビュジエと、彼の従兄弟のピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンとの共同デザイン。スリングチェア、バスキュランチェアとも呼ばれます。20世紀に作られた椅子の中でマスターピースのひとつに数えられる名品です。「住宅は住むための機械である」というル・コルビュジエの言葉は、装飾を排し機能性を追及したこの椅子に当てはまります。背もたれが姿勢に応じて動くのが特徴で、アームはフレームに厚革を掛けただけのシンプルな構造です。チェア・ファンなら一度は手元に置いてみたいと世界中にファンを持ちます。

実際に見て、ル・コルビュジエの魅力を感じて


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私たちの最も身近にあるル・コルビュジエ作品といえば国立西洋美術館です。
今回はル・コルビュジエの人物や作品を紹介してきました。興味が湧いたならまずはぜひ国立西洋美術館を訪れて見てはいかがでしょうか。新たな視点で美術館自体を見ることができるかもしれません。ぜひ足を運んでその魅力を体感してください。

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